

エゴノキの花が満開。

山椒の幼木。葉っぱをちぎって手のひらでパーンと叩くと山椒のいい香りが広がる。

ミツバの葉がこの時期くらいから強大化している。

エンレイソウに実がついている。


標高が上がっていくと道に白い花がたくさん落ちている。これもエゴノキの花だ。
間近で見ると可憐な姿。
金属びかりしているように見える。他の植物でも光沢があるものはあるがヒトリシズカのような光沢は変わっていると感じる。
ヒトリシズカの葉には光沢がある。表面に油が膜を貼っていて葉がこんな光り方をしているのかな?他の葉にはない光沢感だ。
毎回不思議に思っているんだけど調べても、なぜ油びかりしている光沢感なのかは出てこない。


またまたお花がたくさん落ちている。これはサルナシの花。なんて可愛いんだろう。


カタバミの葉っぱも可愛い。双葉になっているのが蝶の羽みたい。

ハルゼミが死んでいた。小さいね。

ヒメシャラの花も落ちている。

稜線に出て、適当に歩いていくとバイケイソウが何かに食べられている。
よーく見ると白いイモムシがたくさんついている。
バイケイソウが食べられているのを初めて見た。
今日の歩きでは、この白いイモムシが発生しているのは一部の場所だけのようだ。
他を歩いていてもバイケイソウの群生はあるけど、虫にはやられていない。
なぜ、ここだけにこんなに白いイモムシが大量発生しているんだろうか。
ニトベエダシャクという名前。

夢中になってバイケイソウをムシャムシャしている。
顔が黄色く、モンシロ蝶のイモムシの顔と似ていてめちゃ可愛い。
でもこの一帯にだけウジャウジャといるので気持ち悪くも見える。
まっ人間にはまとわりついてこないのでビビらず進んでいける。
昔の虫嫌いだった私からは想像もできないな。虫を見ただけでギャーギャー言っていた。
今は虫をじっと観察できるくらいになれた。人生ってどこでどう変わるかわからないな。
人間が生み出した虫以外には何かお役目があるんだろうなと感じられるように考えが変わった。

人間が改良した虫は何か悪巧みの為に使われているように感じる。
以前、テレビでアース製薬の研究所でゴキブリ・蝿など沢山飼育しているところが映っていた。
虫は、石灰で死ぬらしいです。以前見たトルコの1500年代の「オスマン帝国」のドラマで石灰をまいて虫を駆除しているのを見た。
石灰を撒くと虫たちの水分が奪われるんでしょう。それで死んじゃうんです。蛭やナメクジなんかは塩を撒いたら死にます。
そうやってわかると殺虫剤っていりますか?そんな劇薬物。

いろいろと調べていると人間が研究によって生み出す自然にはないものが本当に怖いものなんだと思う。
研究施設や研究者って、世界中にどれだけあるのだろうか?企業の研究所・大学の研究所・民間の研究所。
ものすごい数の研究者が 正しい研究 をしていると世の中の災厄はほぼほぼ無くなっていき現代が健康だらけの人しかいない世の中になるはずだ。
悪い方に流れる研究をしていると、いろんないらない職業や製品がが生み出される錬金術になる。
現代社会のいろんなことが解決すると、たちまち立ち行かなくなる企業や研究所だらけになる。
なぜなら仕事がなくなり、研究も終わってしまうからだ。なのでいろんなことを存続させるためには解決してはいけないようになっている。
1900年代初頭を調べていると、日本でもとんでもない研究ばかりしていたことがわかってくる。
とくに星製薬や大日本製薬のことがわかると製薬会社は悪でしかないことがわかってきた。
アヘン・ヘロイン・モルヒネ・ヒロポンのことがわかると日本こそがとんでもない社会だったんだと知った。
後藤新平が1895年以降、台湾統治時代に星一(小説家の星新一の父)・二反長音蔵とアヘンに関係していた。
星製薬がアヘン利権を持っていて、二反長音蔵が摂津で広く芥子栽培をし、満州でも芥子栽培をしていた。
大日本製薬は戦後に武田薬品・塩野義製薬・田辺製薬に別れた。星製薬が持っていたアヘン利権を大日本製薬が横取りし、戦後はその利権を武田薬品・塩野義製薬・田辺製薬の三社が引き継いでいる。大阪市道修町って製薬会社が集まっている。
薬って何のためにあるのか、製薬を調べだすとおかしなことがたくさん出てくる。
第一医薬品・第二医薬品と薬の危険度がわかる表示がパッケージに記されているし、原材料を確認するとここにも添加物がいろいろと使われている。

ヒカゲノカズラには沢山の胞子嚢が出ている。踏んでも花粉が出てこない。まだ花粉が飛ぶには早いみたい。
このヒカゲノカズラの花粉は昔、血止めに使われていたので、採取したいと思っていたがまだ出てこないんだと残念。
古事記に出てくるアメノウズメが裸にこのヒカゲノカズラを撒いて舞った話がある。
調子が悪くなれば、昔の人は、植物を乾燥させて煎じ薬として飲んでいた。いちいち手間を掛けて製薬会社が薬を作らなくてもいい世の中だった。


ミズスギにも胞子嚢が出ていた。どちらもシダ植物。



徘徊していると岩が出てきた。厚さ1cmから2cmくらいの層になっている。
どういう環境でこのような層になったのかな?

可愛いきのこ。

いいお天気なので、どこを徘徊していても素敵な森の中を歩けているので幸せ!!
6月は蝿やブヨが寄ってくるのでインナーテントを張って、中でランチする。
でも今回は虫たちの数が少ないので助かった。
毎年6月はものすごく虫がたかってくる。
とくにブヨにやられたら、かゆみが何日も続くのでやっかいだ。ブヨは蝿よりも小さい。
ブヨは時間差で痒みがやってくる。
刺されたときは全然痒くなく、夜に痒みが一気に始まる。

半袖で歩いていた時に、めちゃくちゃ両腕を刺されまくったことがあり、地獄の痒みが始まるときは、いつもドライヤーで患部全部に吹き当てる。
すると刺された部分だけがアツっとなり、しばらくかゆみが収まる。
2,3時間経つとまた痒くなってくるのでまたドライヤーを吹き当てる。
これを何回も繰り返すと2日間くらいで痒みから開放される。
ドライヤーがなかったら、もっと痒みの期間は長くなる。
これはドライヤーの熱で刺された場所がやけど状態になるので早く治る。

沢沿いはアブや蛭にやられ、アブは痛痒くなるし、蛭は血が止まらなくて、あとあと痒みに襲われる。幸いまだ、アブと蛭には私はやられていない。piccoloさんは何回もやられている。
ダニも何回か経験している。数年前に首の後ろに1cmくらいのダニにやられた。
幸いにも付いてすぐに気がついたのでpiccoloさんに上手に取ってもらい大事に至らなかった。
別の日にpiccoloさんも違う場所でお腹をダニにやられていた。

こうやって刺す虫にやられていると、昔の戦争でマラリアにやられた人たちは大変だったんだろうなと感じる。痛痒いのが何箇所もあり、何日もそれに悩まされる。
とくにずーっと外にいて治りかけてはまた刺されるような環境だと発狂するだろうと思う。
刺されまくって耐性が出来た人は大丈夫かもしれないがあまり刺されたことがない人がそんな環境に置かれたらきついと思う。
兵士の人たちは外戦なので虫たちにやられたり、植物のトゲにやられたり、送られる戦地に寄って悲惨だっただろう。
そこに色んな種類の理由(わけ)のわからん薬まで飲まされる、最悪な環境。
戦争って、理由(わけ)のわからない薬を与えられることが多かった、まるで人体実験。大東亜戦争を調べるとわかってくる。

とにかく昔の大東亜戦争を調べるとえげつないことしか出てこない。
日本人として、過去の戦争は関係なかったことではなく、現代の悪を知るために何があったのか知らないとメディアや学校の教育で堂々と騙されてしまうんだと思う。
3年くらい前にたまたま図書館でフジサンケイグループの本があり借りて読んでみた。上下巻のかなり長い話の本だ。
テレビ放送の初期のこともわかり、大東亜戦争時の利権はずーっと続いていることがわかる。
1980年代後半にフジサンケイグループの鹿内家が日枝さんに乗っ取られた時代の話。
それを読んでいたから、今年はじめのフジサンケイグループ問題の話がよくわかった。
後藤新平は、ラジオ放送が始まった頃のNHKの初代総裁でもある。後藤新平を調べていると鉄道や通信と当時の新しい省庁のトップにもなっている。
GHQなどの国際連合の国々が敗戦国となった日本を1945~1952年までの7年間統治しており、この7年間は連合国に所属していた国々の人達がたくさん日本に住んでいた。この時代のことは学校で詳しく習わない。
なぜだか連合国に所属していた国々の人達は1952年に一斉に引き上げていった。残って日本に住んでいる人たちもいただろう。
そして1953年にNHKのテレビ放送が始まる。それについで民間放送も始まっていく。
何か連合国の人たちが仕組んでいき、敷き終えたから去っていったのではなかろうか。3S計画なる日本人アホか計画が始まった。


下山をしている時にめちゃくちゃ可愛らしいイチヤクソウを発見、ここのはかなり花付きがいいなぁ。
日陰のところにひっそりと咲いていた。今日はほのぼののんびりハイキングができました。





なんと古本屋で ”適塾” に関して研究された本を発見した。
いろいろとこの日本社会がおかしいぞと調べていると”適塾” に関わったヤツラこそが悪の始まりなんではなかろうかと感じた。
何も知らないときは、私は大阪市淀屋橋にある適塾の隣りの武家屋敷の幼稚園(愛珠幼稚園、今でも現役の幼稚園だ)に通っていたので、大人になってから、自分が通っていた幼稚園の隣に適塾があったことを知り、鼻高々だった。



しかし、医療の悪を調べているうちに ”適塾” こそがその悪の本拠地じゃなかろうかと思い始めた。
緒方洪庵は本名が佐伯という名前の人だ。佐伯という名は中央アジアにあったソグド人のこと。ちなみに空海も本名が佐伯真魚、きっとソグド人の末裔だろう。
日本って、大陸からいろんな民族がやってきて住んでいたと思う。それが名字や地域名として残っている。



緒方洪庵は蘭学塾をしていた。オランダの学問だ。
因みにオランダの国際名はネーデルランドだ。オランダという名の国は存在しない。
日本の外国名はイギリスやドイツを始め自国でしか通用しない国名が多い。
世界史の歴史もそうで、日本の国でしか通用しない歴史を私達は教えられている。
そういう事がわかってくると学校の教育が胡散臭いと思い出すようになった。




他国へ行ってイギリスやドイツと言っても、どこの国のことですか?となる。
なんかいろいろと調べていると日本という国が何か国民に対しておかしなことをさも本当のことのように教えているんじゃないかと思い始めた。




この”適塾” の本にはどうやって日本にワクチンの原種である豆苗がやってきたか、詳しく書かれている。
緒方洪庵が今で言うコロナのような感染症が日本で始まった時に種痘を全国に広めた発信者だったんだ。種痘(初期ワクチン)の効き目はなかったのに。ワクチンの始まりから調べていると胡散臭い話しか出てこない。
その話を読んで、こいつら頭まともか?と言いたくなるような内容だった。素人の私でもおかしなことだとわかる。


そもそも種痘の始まりは天然痘を治すことが目的でイギリス人の医師ジェンナーが1796年に牛痘にかかった人は天然痘にならないという、アホな見解から始まった。
牛痘にかかった雌牛の世話をする婦人にできた膿を、全然関係のない子供の腕に傷を作りそこへ、その膿を植え付けて、種痘を増やしていった。
牛痘にかかった膿が大事なワクチンになり、沢山の子供にその膿を植え付けることでいろんなところへ膿をわけることができた。と言う話だ。
そんなことに病気になっていない子供を使っていたなんて、医療とはとんでもないことをすると感じる。
この膿を天然痘ワクチンという。こんなアホなことを言い出したジェンナーは「近代免疫学の父」と言われている。
種痘は天然痘には効き目がなかった。
何故か?天然痘ってのは体中にブツブツが出来る現象で、人間の体は体内に入ってきた異物を体外排除するために様々な症状が出るようになっている。
なのでブツブツは何かいらないものを食べたか身につけていた(経皮吸収)かで身体が自然治癒するために出している症状だ。なので病気ではない。
医師が治療せず、ほっておいたら自然治癒する。身体が熱を上げるのも病気ではない。熱を上げて異物を排除するのにがんばているんだ。
何かおかしなことになるのは、医師がいらない薬を処方したり、変な治療を施すから、治るどころか逆に悪化した結果なんだと思う。
こういうおかしな見解をするのが近代医療の始まりとされている。
現代医療は身体が治ろうとする現象と真逆のことをする。例えば解熱剤を飲ませるとか、血圧を下げさせるとか、誤った処置をしている。
普通に考えただけでなんて馬鹿げたことをしてるんだろうと思いますよね。


西洋医学が維新後の日本に即、流入してきたのはこの時期の種痘が緒方洪庵の活躍で西洋医学を信じさせる現象になった。
新聞や小説で恐ろしい疫病が来て、それを西洋医療だと治癒できるんだと思わせ、西洋医療が入り込みやすい環境を作っていった。
維新前からイエズス会が日本に入ってきやすいように先に白人社会を信用させるような工作していたんだと思う。
戦国時代からイエズス会は日本に来日しており、織田信長と関係があり、キリシタン大名がたくさんいた。

長崎県にオランダが関わった出島があり、この周辺のいろんな藩も関わっていたように思う。
維新や維新後に活躍したのが”適塾” から福沢諭吉、長与専斎、など多数出ている。
もうね多国籍企業状態だったんじゃないかな~と思う。
維新前や維新後に欧米(国の要人になった人はほぼドイツに行っている)に行きまくってるんだよ。そして欧米でいろんなこと学んできたようなヤツラが維新後に日本を牛耳って、ドイツ人とか外国人が日本で起業している。シーメンスとか。
もうねえ、維新前から多国籍企業のヤツラがシナリオを作っていたんでしょというくらい、外国勢の流入が凄い。キリスト教系のカソリック、プロテスタント、正教会etc


日本国を作ったのは、政府・憲法・学校教育・医療、全て外国勢の教えで何もかも始まっている。革命後にこんな淡々と事が運ぶことは変じゃないですか?資本主義が始まり、軍国主義が始まっていく。
長崎にはオランダ東インド会社の支店があったし、出島に来日していたシーボルトの弟子が全国にいた。日本人の弟子からシーボルトはいろんな日本の情報を得ていた。
シーボルトは、プロイセンが送り込んできた諜報部員だったんじゃなかろうか。
オランダ人(ネーデルランド人)ではなく、ドイツ人だった。
この頃のオランダは、プロイセンの占領下にあった。


シーボルトの一番弟子が岩手県奥州市水沢出身の高野長英で後藤新平とは血縁関係にある。シーボルトはドイチュ騎士団ではなかろうか。
明治維新後の後藤新平の地位がどんどん上がっていったのは高野長英の血縁者だからではないだろうか?
衛生を世に広く知らしめたのは後藤新平だ。後藤新平は台湾統治時代にアヘンを作らせ、台湾を内地の資金提供なくアヘン利権で得た資金で経営していた。そして長与専斎とも内務省衛生局で師弟の関係だ。西洋医学を日本に定着させたのは、長与専斎だ。
後藤新平が南満州鉄道総裁になったときは諜報部を作っている。それが後に電通となる。
後藤新平が上申したことは、割とすんなり通る。現代の日本でも満州利権が普通に横行しているのではなかろうか。
有名タレントたちの祖父は南満州鉄道で働いていた人が多い。
私達がこの人は凄いなあとか良い人だ思わされている人たち、君臨しているタレントは皆、南満州鉄道絡みだ。
私が後藤新平を知ったのは、1923年の関東大震災で東京市復興を成し遂げた人として知り、なんて素晴らしい人なんだろうと思っていたが、この日本のおかしな始まりを調べていたら、後藤新平にいきついて、慈善者の顔した悪党だったことがわかり後藤新平に関していろいろと調べ始めた。


蘭学を志していた緒方洪庵も父親の 佐伯惟因がシーボルトに関わっていたんじゃなかろうか。明治は養子だらけだったり、名前もちょくちょく変わるので調べていくのがややこしい。
緒方洪庵は本名が佐伯惟章という、豊後大神氏の分家の豊後佐伯氏の分家で佐伯惟寛を祖とする。大分県てイエズス会が初めて病院を作ったところで、大名の大友宗麟はキリシタン大名だ。


緒方洪庵は1849年の維新前に日本にも天然痘が広がったとされ、長崎出島の医師オットーモーニッケが輸入して京都に伝わっていた豆苗を得て、大阪市中央区道修町に除痘館を開き、治療に豆苗を進めていった。
どうやって、海外から膿を持ってくるんだと疑問に思いませんか?
膿は乾くから海外から持ってこれず、そのかわりに瘡蓋(かさぶた)を利用した。
瘡蓋(かさぶた)って・・・。もうねえ、アホすぎて言葉が出ない。
緒方洪庵の適塾に通っていた人たちが日本に悪のレールを引いていったような気がします。


しかも分けてもらうために儀式までしてるんだから、何で儀式なんかするん?開いた口が塞がらない。こんなアホなことをするのが西洋医療です。
日本の現代医療のはじまりは、このあたりを祖としています。
現代医療がおかしいことがわかるでしょ。
福沢諭吉はロベルト・コッホの弟子だった北里柴三郎がドイツ留学から帰国後、仕事もなくプー太郎しているところに感染症研究所なるものを作らせるのに資金提供している。